11月3日のお祭りで・・・・
私の住んでる、中喜来では、三木與吉郎 さんの家を、「やまじょ」と、呼んでます。
下の説明にもあるように、大きなおうちで、歴史もあります。今は、東京の方で家族の方は住んでいるのですが、昨日は「お祭り」であったので、お嬢様が、参加してくださいました。三木家には、我が家も関係がありました、主人のおじいさんが番頭として、長く勤め、主人の父や、おじさんも関連会社に勤めていました。我が家の前にある「観音様」も三木家のものです。
最初の動画の白い建物が「三木文庫」ですね。(三木産業)
昨日は、素敵な庭も拝見しました。

三木家のお嬢さんや、宮司さんと話がはずみました。それから、近所のMさんと、ブログやら、韓ドラの話になり、三木家のお嬢さんも「韓ドラ」好きだとかで、・・・・楽しいひとときでした。
それから、昨日は、「人はみかけによらない」という言葉を実感しました。
宮司さんと、話をしてて、いがいや、いがい、「バンド」をもってるとのこと。
「黒神」(コクジン)と読みます。
鳴門市金刀比羅神社宮司 神東正典さん なんです。
鳴門高校卒業です、同じ〜。

※三木家のお嬢様といっても、二十歳とかじゃありませんので・・・・・ちな♪

−中 喜 来−
 鎌倉・室町時代の中喜来は、長岸・広島とともに萱島荘の一部(砂浜や萱野)であったと考えられます。中喜来が村落として開拓されるのは、戦国期で、播州(現在の兵庫県)から移り住んだ別所氏(三木氏)の一族が、開拓の中心になったと伝えられています。
 江戸時代はじめには、こうした別所氏(三木氏)の流れをくむ庄屋の三木宗桂が、徳島藩の厳しい検地に異議を唱えて処罰された「義民伝承」が残っています。
 また、旧吉野川の河口に近い中喜来には、徳島藩筆頭家老稲田氏の加子(水軍)屋敷がおかれた時期もありましたが、後には純農村地域となり、稲作・麦作のほか一部で藍作も行われ、盛んになりました。

松茂町指定有形文化財 六地蔵尊 (中喜来光明庵)
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《藍商三木家と(社)三木文庫》
(やまじょう)の屋号でしられる三木與吉郎家は、2世吉太夫高治(1615〜1678)が延宝2年(1674)に藍の商売をはじめ、18世紀末には江戸に進出し、明治末期(20世紀はじめ)にいたるまで、江戸売りの藍商として活躍しました。また、同家は、江戸時代後期より庄屋・組頭庄屋(大庄屋)などの村役人を歴任し、中喜来や周辺村落の行政にも活躍しました。
 現在、こうした江戸時代から明治にかけての、藍商や中喜来の行政に関する古文書や絵図は、(社)三木文庫に納められています。(社)三木文庫は、昭和29年(1954)に、三木家創業280周年記念事業として第13世三木與吉郎氏によって創立された私立(後に公益法人)の歴史史料館で、阿波の藍・砂糖や庶民生活・芸能に関する史料や文化財(国指定1件、県指定17件)が所蔵されています。
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「三木文庫」

黒神鳴門市金刀比羅神社宮司 神東正典さん

松茂町の開拓
http://joruri.jp/mizuto/kenchi.htm三木宗桂さん
【2008/11/04 13:45】 | トラックバック(0) | コメント(1) |
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【2008/11/05 13:10】 | #[ 編集] |
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